真夏の太陽が照りつける甲子園。白球を追いかける高校球児のひたむきな姿、アルプススタンドの大歓声、そして試合後に流れる涙──。テレビや新聞が伝えるその光景は、野球ファンの心を打ち、夏の風物詩として扱われてきた。
しかし、その輝かしい物語を紡ぐメディアの裏側では、一体何が起きているのか。
弁護士ドットコムのニュース編集部には、かつて甲子園取材の最前線にいた記者が5人いる。今回、テレビ、新聞、スポーツ紙と、それぞれ異なる立場から見た「もう一つの甲子園」について座談会を開いた。
●輝く聖地の裏側 「物語」を求めるメディアの狂騒
──早速ですが、みなさんの甲子園取材で最も印象的だった「現実」からお聞きしたいです。ちまたに溢れる感動的なイメージとは違う部分はありましたか?
記者B(元スポーツ紙):今になって思えば、僕にとって甲子園取材は、選手の体験をひたすら「消費」する「作業」でしたね。読まれるというより、キャップから求められるのは決まって、家族の死、友情、病気を乗り越えた、といったエピソード。それを短時間で集めるために、選手たちのパーソナルな面に土足で踏み込んでいく。紙面を埋めるために必死でしたが、今思うと、彼らの体験を食い物にしていただけではないかと感じます。
記者E(元新聞社):わかります!本社から「こんなネタあったら共有しろ」というシートが配られるんですよ。そこには、地震や豪雨など自然災害に見舞われた選手や学校、身内に不幸があった選手などの項目があって…。開幕前はまだしも、担当校が勝ち進むと本当にネタが尽きてくる。ベスト4まで行ったときは、正直『まじで勘弁して』って思ってました(笑)。勝つたびに、次は何を書けばいいんだと頭を抱えていました。
記者D(元新聞社):「いい話を書け」というプレッシャーは異常でした。上司から常に「逆境を乗り越えた的なエピソード」を求められ、精神的に追い詰められましたね。時間もないから、どうしても型にはまった記事になる。「天国で見守るおじいちゃんのために打ててよかった」とか…。本人がそこまで深く考えていなくても、物語になるように“盛って”書いてしまう。罪悪感はありました。
記者A(元テレビ局):テレビも同じですよ。特に30分の特番を組むなんてことになると、「3分ルール」が重くのしかかる。主催局以外の局は、同じ番組で使える甲子園の映像が、試合後のインタビューも含めてたったの3分なんです。これではドラマチックな物語なんて作れません。結局、学校に選手を集めてトーク形式にしたり、球場外のイメージ映像だったりで尺を稼ぐしかない。高校生の大会をここまでビジネスにするのか、という疑問は常にありましたね。
写真はイメージ(ゆう2002 / PIXTA)
●メディア格差と異常な取材環境
──「3分ルール」ですか。主催社とそれ以外のメディアで、そこまで明確な差があるとは驚きです。
記者E:格差は露骨ですよ。朝日と毎日は球場内に専用の記者室があるのに、他のスポーツ紙なんかは狭いスペースにすし詰め状態で、見ていてちょっと気の毒になるくらいでした。
記者B:一番うらやましい、いや、ズルいと思ったのは、幹事社の記者が選手と宿舎で一緒に過ごしたり、バス移動まで共にすることですね。「報道機関が取材対象とあまりに一体化しているのでは?」という気持ちと、「近くでじっくりネタ取りしやすくていいな」という汚い感情が半々ありました(苦笑)。
記者E:私も「朝日の記者は球児たちと宿舎が同じで、一緒に朝食食べたりしてるらしい」と聞いて、正直「主催者の特権」のように感じました。
記者D:取材環境自体も過酷です。地方大会だと1日3〜4試合を1人で担当する。試合中は活躍した選手の親御さんを探してスタンドを駆け回り、写真を撮るために一塁側、三塁側、バックネット裏と移動し続け、試合が終わった瞬間に監督や選手を囲み、次の試合が始まるまでに原稿を書き上げる。昼ごはんを食べる暇なんてまったくありませんでした。
記者A:テレビ局もワンクルー(記者1人、カメラ1人)が基本なので、常に時間との勝負。試合終了のサイレンが鳴り、両校の選手が礼をする、あの拍手の瞬間までは絶対に映像として押さえたい。でも、すぐに取材ブースに移動しないとインタビュー時間がなくなる。終了後すぐに移動できる新聞記者が本当にうらやましかった。
写真はイメージ(minack / PIXTA)
●「彼氏いるの?ヤってる?」女性記者が受けたハラスメント
──過酷な労働環境に加えて、記者がハラスメントを受けるといった話も聞いたことがあります。
記者C(元新聞社):思い出したくもないですが…。密着取材を続けるうちに、記者に慣れてきた高校生たちから「彼氏いるんですか?ヤってますか?」とか「合コン行くんですか?ワンナイトとかありました?」とか、平気でセクハラ発言をされました。聖地とか教育の場とか言われている裏で、こんなことが起きているのかと。
一同:うわぁ…。
記者C:さらに呆れたのは、同僚の男性記者たちです。取材先の甲子園に近い宿舎から「これから風俗行ってくるわ」と堂々と出ていく。高校生たちがプレーする野球の取材に来て、夜はそれか、と。そもそも、スポーツ紙や運動部は男性記者が圧倒的に多く、取材でも自然と彼らが優先されているような空気を感じました。
記者A:他のテレビ局をみても、甲子園の担当には若い女性アナウンサーが起用されることが多かったように思います。「そのほうが監督や選手に喜ばれるから」という計算もあったのではないでしょうか(笑)。僕が担当したときも、監督から「〇〇アナ(女性アナ)が良かったなぁ」なんて軽口を叩かれましたから。
記者B:うちの紙面では、もっと直接的でしたね。「かわいい女子」を探すコーナーがあって、観客席やチア、吹奏楽部にいる子に声をかけるんです。大会期間中に「だいたい何人」というノルマも課せられていました。
●消費される球児 歪んだシステムの末端で
──選手だけでなく、記者自身も追い詰められるのですね。
記者D:全国紙では、地方支局に配属された新人記者が高校野球担当になるのが"お約束"です。僕もそうでしたが、中にはCさんのように、野球のルールすら知らないまま現場に放り出される記者もいる。
記者C:本当に辛かったです。野球部のマネジャーだった同期に頭を下げて、プロ野球観戦に付き合ってルールを教えてもらったり、スコアの付け方を習ったり…。もちろん、それらの費用は自腹です。なぜ、こんな思いをしてまで野球を取材しなきゃいけないのか。他のスポーツにも素晴らしい大会はたくさんあるのに、野球だけが異常に手厚く報じられる現状には、ずっと疑問を感じています。
記者D:取材の難しさもあります。高校球児って、まだ表現が幼い子が多いんです。質問しても「気持ちで打ちました」みたいな、ふんわりした答えしか返ってこない。そこからどう具体的な話を引き出すか、半ば強引に"物語"を組み立てる技術を訓練させられているような感覚でした。
記者E:強豪校のプロ注目選手とかは、もうメディア対応に慣れすぎてて愛想がなかったり(笑)。逆に距離を詰められなくて困りました。だから自分でアンケートシートを作って配ったりもしたんですが、まあ、あんまり書いてくれませんでしたね。
写真はイメージ(宮坂由香 / PIXTA)
●書けなかった「不祥事の芽」 報道と教育の狭間で
──最後に、今の高校野球報道に対して思うことをお聞かせください。
記者D:担当校を取材する中で、主力選手が突然試合に出なくなったことがありました。他の選手に話を聞くと、どうも何か不祥事を"やらかした"らしい、と。でも、学校側は何も言わないし、裏付けがまったく取れずに何も書けなかったんです。最近、強豪校での暴力事案などが表に出るようになりましたが、あのとき書けなかった一件も、そうした問題の氷山の一角だったのかもしれない、と思います。
記者B:メディアが学校や連盟と一体化しすぎている側面は、間違いなくありますよね。それが結果的に、不都合な真実への"忖度"や"見て見ぬふり"につながっているのかもしれません。
記者C:そもそも論として、やはり「なぜ野球だけがここまで特別なのか」という問いに立ち返るべきです。この過剰な報道合戦が、選手を追い詰め、記者を疲弊させ、時に歪んだヒーロー像や感動ポルノを生み出している。一度立ち止まって、高校スポーツ報道のあり方そのものを見直す時期に来ているのではないでしょうか。
記者A:高校野球は「ビジネス」の色が濃すぎると感じます。インターハイや国体など他競技の全国大会では入場料を取らないのに、高校野球は地方大会ですら入場料をとりますし、地元で開かれた国体でも高校野球だけが有料でした。甲子園に関して言えば、主催は大手新聞社。こうしたお金の流れが、報道のあり方を歪ませているのではないかと感じます。
──華やかな甲子園のイメージとはかけ離れた、過酷で、時に矛盾を抱えた取材現場の実態が浮き彫りになりました。高校野球という巨大なコンテンツとどう向き合うべきか、メディア自身のあり方が問われているのかもしれません。